えみはな diary

自然と人と生命をさりげなく綴りっていきます。

「わからなくなった」と思ったとき

f:id:har4fl172gr355775eg:20180504175223j:plain  日々の暮らしで自分でいろんなことを判断し、さまざまな行動をしています。自分なりの目的意識を持って多くのことをやっています。いろんな人と話をしたり、人の行動をみて感じたり、ときにはこの社会や地域、身の回りの環境のことを考えたり、その中の自分について感じたりしています。

 そんな日常のふとした時に、「考えてみてもわからないな」とか「どうしてこうなっているのだろう」とか思って、やけに気になって考えてしまうことがありませんか?

 若い頃のわたしは、世間知らずでもあり、真面目でもあったのでときどきそんな考えにとらわれ孤立感をもってしまったこともありました。「社会をよくしたい」と思う正義感の強い人ほど、人の善意を信じすぎてそんな感じがすることがあるかもしれません。

 正義感はいいことだけど、わからない考えを膨らませてしまうのは、時間の無駄ですし、そのエネルギーがもったいないですよね。

 

 そんなとき1つには、「乱れている」ものだという観点もとりいれたらどうでしょうか?ふだん私たちは慣れ親しんだ環境にかこまれ、性格もある程度知っている人たちとのかかわりを続けているけれど、ひとたび隣の国に行き、たとえば中国に旅行したとすると、話す言語が違い、生活の習慣も使っている物も違い、そんななかに放り込まれたとします。そこでは何もかもがわからないことだらけ。

 グローバル化がすすんで、私たちの暮らしにもそんな影響が入ってきていますよね。

 このようにに大きな変化ではなくても、昨日のことが今日とは違っていたり、自分の今までの価値観でみれば多少なりともずれを感じるということ、それらが積み重なって不可解な感じをおぼえてしまうこともだれしもあることです。

 時間や季節の変化、個人的経験や記憶、潜在意識や能力によって、またはその場に占めている人間関係や位置関係(上下だけでなく深い浅い、立場上など)によって、また人の好みや感受性などにもよって、いろんな反応としてでてきます。そんなさまざまを日々、人と人は交換しあっています。意識的に、または無意識的に。そういう多義による情報にさらされている私たちなのだということを自覚する必要があると思います。

 忙しい時にはそんなことは考えていられませんから、ただ感情と思考のなすがままになってしまうかもしれませんが、言葉にあらわして紙にかいておいたり、ノートに書き出しておくと、迷った時それを見て、落ち着いてわれに返ることができます。そういう言葉をためておくというのも大切なことだと思います。

 朝ドラに登場する漫画家、秋風羽織に、こう言わせています。

「人には思いというものがありますからねえ。だからおもしろい。」と。

 

 もう1つは、階層を考えてみることもいいかと思います。2次元でなく、3次元の世界で考えます。相入れないものは、階層をかえて別次元のものとして考えます。自分の思考を立体化すると整理されていくものもあるでしょう。

 例えば、マズロー欲求段階説によると、人間の欲求には段階があって、下から生理的欲求、安全欲求、集団や仲間に属したいという社会的欲求、承認や尊敬をえたいという社会的欲求、そして自己実現の欲求の五段階があるのだそうです。下の階の欲求がかなえられて次の欲求にすすんでいくと言うこと(中には例外もあるそうです)なので、人によって今どの段階にいるかによって、得たいと思うこともかわってくるということです。

 鳥も、家のまわりを飛ぶすずめもいれば、カラスはもう少し上を行き来しますし、タカやワシのように、1キロメートルも上空を飛んで高くみわたせる鳥もいます。住んでいる時空が、たとえ飛べない人間でも思考的に違う位置にいるのかもしれません。

 そんな中、自分は自分として生きて何を人に与え、何を人から学び、どう自分の生きる目的をみつけて能力を活用し、成長し続けていくのかが、おもしろいところであり、やりがいがあるところであり、楽しいところであり、人間関係をつくり信頼関係を見出せるところであると思います。

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