家族ってなんだろう
誰でもお母さんとお父さんから生まれてきて、一生のあいだその関係は変わることのないものとして自分の持つ人間関係の要素としてあります。
ときに愛おしいものだったり、うっとおしく感じることもあったり、ありがたかったり、切り離したいと感じたり、ふだんは関係をとだえていたり、それでいて必ず心のどかかにあるものだったりします。
医療関係の仕事に従事しているある人は、ご主人と離婚していてむすこが一人。大学生の息子の学費をご主人が出しているが、奥さんは生活費や部活費をだしていているのだけど、遠くにいる大学生くんには会うことがほとんどできないそうです。離婚してお父さんが扶養しているのでしょう。
「会うこともできないのに、なんで私はここまでしないといけないのだろうと、不満に思っている」ということだそうです。
たしかに、今の生活から考えたら働くだけ働いて仕送りするなんて、バカバカしいと思えるのもムリはありません。息子に会えない状態がいっしょう続くと思えるでしょう。
でも親子関係、家族間のつながりは、さまざまなことが変化する人生のあいだでそのつながり方やお互いの立場や関係も、いくどの転機をへながら変わっていくものだと思います。「家族」というかたちがその人その人のなかでリフレーミングされるのです。年齢を重ねるごとに、大きな変化を経験するごとに。その転機のとき、苦しいときほどその価値が、存在がクローズアップされるのが家族というものだといえるでしょう。
ある女性は、自分の生き方に迷ってあるキャンプに泊まりがけで参加してみました。その人は夫がいるのに好きな人ができてしまい、その気持ちを捨て去ることができずに苦しんでいたのです。参加者と共に自分の人生について深く考えていくうちに、そのひとは突然きらいだと思っていた母親のことが思い出され、号泣してしまったのだそうです。そして、自分の思い込みから部分的にしか見てこなかった親に対して、いとおしさが溢れてきたのです。
その思いはなかなかふだんは表れない潜在意識の奥底のほうにあるのかもしれません。でも必ずあるものなのです。切れない関係だからこそ、時とともに経験と成長とともに客観的にみることができて来ると思います。
なぜか毎日会っている時には空気のような存在で、いいともわるいとも思わずに居て当たり前の存在なのに、いなくなると突然ぽかんと空いたいつもあった何かがないという感覚、それが家族というものなんですね。
話をもとに戻すと、その大学生くんもいつかきっと、仕送りをしてくれたおかあさんに感謝の思いでおかあさんの前にあらわれる日がくることでしょう。