えみはな diary

自然と人と生命をさりげなく綴りっていきます。

職場をはなれてする職場の話題 NO.1 ーお局様ー

f:id:har4fl172gr355775eg:20190107111619j:plain 明けましておめでとうございます。お正月は一年のうちで、長い休みがとれる貴重な日々ですね。親族などが集まれる機会にもなります。

 私のところにも3家族、9人が集まりました。そのうち、3人の若い娘が含まれています。いろいろ近況を語りあった最後の方で、1人の娘さんが1カ月後に仕事場をやめることに決めたのだと発表してくれました。親御さんももう承認済みのようすです。理由をきいてみると、長い年月その会社で働いている「お局様」に愛想を尽かしてしまったのだそうです。それ以前にも上司との人間関係など2、3乗り越えてきたそうなのですが、今度の同僚のお局様にはついに腹をきめたのだということでした。

 そしてその夜、今度はうちの娘が

「友達をとめてもいい?」と言って、仕事仲間を家につれてきました。夕食を食べて寝た次の日、挨拶がてらその友達と話をしました。その友達の口からでた話も、仕事場での長年働いているある人の、言いたい放題、良し悪しを考えないくちうるささの迷惑話、つまりお局さんの存在に悩まされる話でした。本当に職場に入った若い人にとって、気を使いながら働く仕事場で、長年いるというだけでへんに影響力のあるこういった人たちに混乱させられているのだなということを痛切に感じることになりました。

 ある統計によると(CanCan)、職場でこの人お局様だと感じたことのある人は、62.9%だそうです。

 そもそも「お局様」とは、どんな人を指すのでしょうか?デジタル大辞典では、このように書かれています。

「俗に職場で勤続年数が長く、特に同僚に対して力を持っている女性のこと」と。そこには「意地悪い」とか「口うるさい」といった意味を含み、尊敬する先輩に使われることはほとんどない(Yahoo!知恵袋)のだそうです。

 なぜそういう人が話題に大きくのぼるかといえば、人の印象に強く残り、相手の感情を害することで、受けた人のパフオーマンスを下げてしまうだけでなく、その人の人格をも回数を重ねるごとに下げることになりかねないからです。たかだか1つの会社である人といなければいけないというだけで、自分の価値観を不当にさげてしまうのであれば、その会社を辞めるのが勝ちとなるかもしれませんね。

 しかし、「お局様」と思われるような人は、どこか

「自分が幅を効かせていることが、ここまで続いたこの組織のためだ」という風にも思っているきらいがあります。エゴと長年の経験をごちゃまぜにしていて、全体のなかの自分の立場をわきまえる能力が足りていません。そして、自分の感情を制御できないで周囲にまき散らします。

 言っている感じがわかってもらえると思います。

 職場の仕事は、経験年数の浅い深いあり、知識や技能の高い低いがあったとしても、みな実践の場で活躍している戦士です。成長過程のメンバーとしての相手であり、自分もそうだという気持ちがあれば、すべてに尊敬の気持ちをもって接するべきでしょう。

 年数にものを言わせてエゴを通したり、独占欲の強すぎる人を、管理する立場の人は何らかの手を打ちそうなものだと思ってしまいます。が、長年いる人は、そういう人の考え方もちゃんとわきまえていて、情でおとしこむすべも知っているのです。

 結論、そういう人は必ずどの組織にもいると思っておいた方がいいです。たとえ今その人がいなくなったとして、また次、似たような人が出てくるものだとも思います。ある意味、必要悪ともいえると思います。組織にある種の緊張感をもたらします。人の目をそこに集めてしまうことも、他のことがとどこおりなく邪魔されずにすすめるためにメリットになることもあります。何か事が起こったとき会社側に批判が向けられることへの防波堤にできるかもしれませんし、「あの人はああいうひとだから」と、会社の寛容さを示せるかもしれません。

 

 「その人のせいで何人の社員が辞めたことかって言いたくなる人っているよね」と私がいうと、妹は

「脱水機のような人いるよね」といいました。「脱水機のような人」とは、言い得て妙ですね。

 そんな人の存在が、目に見えないところで人間関係をネガテイブに感じさせたり、情報伝達をとどこおらせたり、組織の透明性を阻害し、がんばっている人の生産性を低下させたり、組織全体のパフオーマンスを下げたりしている現状は、実感している人にしかわからないかもしれません。そうはいっても社会全体の快適さや発展、雇用の安全安心、女性の社会参加という面からも、ないがしろにして良い問題ではないのでは....と、正月そうそう気づいてしまいました。

 

 「どんな会社にもいるのよね。そういう人が」と互いの経験を話、共感しあう事で、少なからずストレスを発散し合えることは、うれしいことです。