えみはな diary

自然と人と生命をさりげなく綴りっていきます。

木蓮の花と視力

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 温かい春が一気にやって来て、空気をぬりかえていきます。まるで杖を振りながら妖精が駆け抜けて行くかのように。もう、朝ふとんからでるのも怖くない。春の足音を感じるこの時期、「人生、生きててしあわせだなあ」と思うんです。

 

 上の写真家の屋根と屋根の間に小さく赤っぽく花が咲いていますよね。写真の上の真ん中あたりです。わかりますか?

 冬の間は木の枝しかなっかったのです。

 ちなみにわたしはこの冬から、いつもかけているメガネをかけないで、朝起きたての目で、外の景色を10分間ぼーっと見るのを習慣にすることにしたのです。

 その景色に、春になって赤紫の木蓮のつぼみが開きかけてきて、その小さい赤っぽい点々をみつけたときから、そこにわたしの目は集中し始めたのです。色があまりない景色を、近くばかり見ることを課してしまう日常に、遠くを意識して見る時間をとっていこうと、近視のわたしの目のために始めた習慣でした。そこに花を見るという楽しみが春とともにやってきたのです。私の目は、10分の時間の大部分を木蓮の花を見ることにつかうようになってきたのです。

 裸眼でみていると、同じようにずっと見えているわけではなく、まばたきをすることによってや、目の開け方によってなどをきっかけに、はっきり見えたりぼんやり見えたりなどいろいろに変化するのです。目の中の水分も関係しているようだし、また目から入った情報は脳の後ろの方で解析しているそうなので、脳の状態からくるのかもしれません。そうやって集中して木蓮の赤紫をみていると、遠くの山際が赤紫にみえたりしてくるのです。

 「人間、焦点を当てたもののようになる」といいますが、まさに焦点を当てれば、近視のわたしも目にもはっきり見えることがあるというのを自らの体で知ったのです。

 いつものなにげない身近な風景が10分という時間をかけること、気に入ったものを楽しんで集中してみることを通して自分のからだの微妙な感覚に気づくという新しい発見ができたことを、とても新鮮にうれしく感じたので、ブログにしてみました。

 

 お詫びですが、いぜん書いたもので、続きを書くつもりでそう言って締めくくったものがありましたが、それは関心をこれからももっていきたいことではあるのですが、

それよりも、わからない未来を毎日新しく生き続けていくなかで、そのときそのとき新鮮に感じたり、考えたりしたことを書いていく方がよりリアルさが伝わると思うようになりました。だれしも初めての今このときを生きています。失敗したり、それを見直して成功したり、新しいことに挑戦したり、慣れた道を楽しんで歩いたり、新たな工夫をしてみたり。同じではない毎日をたくさんの者と共に生きている、そんな道の一つでありたいと思います。