えみはな diary

自然と人と生命をさりげなく綴りっていきます。

朝が気持ちのいい感情であったなら

f:id:har4fl172gr355775eg:20181018102319j:plain  「♫ 新しい朝が来た」という歌詞がありました。夏休みの朝、地域であつまってよくやったラジオ体操の音楽の始まりの一節です。この詩を書いた人は、あさ頭の中にいやな雑念がなく、良い感情でむかえた朝におもいついたのだと思います。

 

 しかし私たちは、朝起きてすぐのとき前日にあったこと、印象にのこったこと、気になることなどがふっと頭に浮かんで嫌な気分になったり、眠くて気分が悪い無意識の感情で身近な人に接し、不愉快さをあたえてしまうこともあります。

 

 

 私も、少しまえまでは主人や子供の弁当を、朝起きてすぐに始め、出発の時間にあわせてつくらなければいけなかったので、とにかく何も考えないでやることを済ませようと、バタバタとがんばっていました。そして皆を送り出した後、ホッとして弁当ののこりなどで朝ごはんを食べてという暮らしをしていたので、朝の感情など気にすることもありませんでした。

 そうやってバタバタと始まった一日は、その後も一日中あれをやってこれもやって、次にどうしてこうしてと、忙しく動きまわる日々でした。そして、やる事が無事おわると、「よしっ」という感じで、それはそれである意味の充実感もあり、おもしろくもありました。そうやっていることで、日々の暮らしはなりたち、子供の成長に喜び成長にあわせて、来るものに合わせてその時々の選択をし、というスタンスでやってきました。

 それはよかったなと、子育てに専念できた日々をなつかしくも思いますが、落ち着いて将来のことを考えてみようとか、もっと他の広い視点にたって考えるための読書や勉強にあてる時間をとっていたら、もしかするともっと違う今があったかもしれないなあとも思えてきます。

 それは子供の弁当作りもなくなってしまった今だから言えることなのでしよう。自分でどんな朝を迎えるのか選択できるようになった今、良い感情、悪い感情どちらにのころべますし、朝のα波に傾いた脳は、とらわれやすいあやうさを持っていると思います。

 

 私は、毎朝3つの感謝をとなえるようにしています。

 このように聞くと、またバカバカしい道徳めいたことをと思われるかもしれませんね。私はこれを、アメリカのスピーカーであり経営コンサルタントバーバラ・ヘンフィルから学びました。

 例えば、なんでもよいと思うのですが、

「朝、目が覚めてくれてありがとう」

「明るい陽がさしてくれて、ありがとう」

鳥の鳴き声が耳にここちよければ、

「小鳥がさえずっていてくれてありがとう」とそんな感じです。そのほか、もっと個人的な内容なら感情が入りやすくていいかもしれません。ほんの1分くらいしかかかりません。

 が、この脳の中で感謝をする行為が、朝のこころを穏やかに整えてくれます。そして、「♫ 新しい朝が来た」と思える一日のはじまりをスタートできるのです。

 一日やっただけでは、しっくりこないなあ、そう思えないのに言わなきゃいけないのかな、嘘つきみたいと思うかもしれません。でも一日、また一日と続けているうち少しずつ自分の内面に明るいイマジネーションが蓄積されていって、3週間後の21日目には、朝起きた時

「あー、よく寝た。気持ちのいい朝だなあ」と思う日がくるでしょう。

 やらなければ、読んだだけでは来ませんけど...

 あなたがそう感じる日がくることを、願っています。

 読んでいただき、ありがとうがざいます。