えみはな diary

自然と人と生命をさりげなく綴りっていきます。

自分の貴重な時間を、何かしら社会の役に立てたいと思っている人へ

 世の中には、お金にならなくても、仕事ではなくても、ボランティアという名がつくようなことではなくて自分のちょっとした時間を、人のため社会のために使ってみたいと思うような健康的、良心的思考をもちあわせているような人がいるものです。

 また、人間は歳をかさねることにより、子育てやいろいろな経験をへる中で、より広い心や豊かな心が育まれ、自然にそういう考えの方向にすすんでいくようです。子育てをすることは、お母さんとしての役割ですが、子育てが一段落して子供も独り立ちして行くと、こんどはその延長線上に、社会のお母さん的な役割どころが見えてくるようです。

 進化生物学教授の、ジャレド=ダイヤモンド博士によると、家族に長生きをしているおばあさんがいると、その家族には孫がたくさんいるという統計上の結果があるのだそうです。それがおじいさんであっても、お年寄りの知恵にはそのコミュニティーを豊かにする精神的な支えとなるべきものがあるのだとおもえます。それは、思いやりにも似た人と人をつなげて社会を安定に導く何かなのだと言えるでしょう。

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 年齢のほうに行ってしまいましたが、歳とは関係なく、そのように社会的な意識を持って見ている人には賛同してもらえると思います。

 

 なので、これから書くことはそういう意識を持った尊敬すべきあなたに向けたメッセージです。

 社会でまたはこの世界でなにかしら役に立つための行動は、あなたにはあなたの立場でいろいろ見つけることはできるかもしれませんが、今日わたしが提案することも、そのひとつに加えて、そしてそうする時間を自然やら地域に親しんでいくたいせつな時間として楽しんで欲しいと思います。

 「で、それはなにだ。」と思ってきましたか?「もったいぶらないで早く言ってくれと。」

 そうですね。早く言いましょう。それは、自分の地域の環境をうつくしくしていくことです。

 「まさかゴミ拾いをやれと言ってるの?」という声が聞こえてきそうですね。

 そうではありません。地球とわたしたちの身の回りを少しずつ少しずつきれいにしていき、人の心のわずらいを少なくて取り除き、街にも息づいている鳥や生物にとっての命をおびやかすものをできれば取り除き、子供達に大人に見守られている安心感を育てるすばらしい社会貢献です。___だれにも褒められませんけどね。

 これは、どちらかというと密かにやるのにふさわしい行動です。なぜなら、とてもきたないと思ってだれもが何とかしたいと思っていつも通っている道があるとしましょう。そこが、あるときから少しずつごみがへり、ふと気がつくといつもごみがない道になっていたとしたら、驚くと同時に崇敬の念さえ抱くのではないでしょうか。

 もし、「ボランティアで何々会の人がやりました。」ということで一日であっというまにきれいになったとしたらどうでしょう。「またきたなくなったらその人たちがやってくれるからいいや。」といつもの習慣どおりごみを落として行く人もいるかもしれません。そう思う気持ちは良くはないですが、わからなくもありません。

 しかし、気がつかない間に、だれがやったかわからないうちにきれいになっていたとしたら、そこにあらたにごみを落とそうと思うでしょうか?

 「なぜなくなっているのだろう。」という気持ちと同時に、捨てようとしている自分の心に向き合うことになるでしょう。

 

 毎日、中学生や電車にのる人で朝な夕な人通りの多い、しかし裏道で細く、舗装もきれいにできていないわたしの家の横の通路は、わたしがここに引っ越してきた十数年前はいつもごみが落ちているのが当たり前の通路でした。わたしが散歩に行ったりして通るたびに、気になるごみを拾っていきました。レジ袋をいつもポケットに入れておいて、拾うだけです。はじめのうちは、そんな行為もなんだか恥ずかしくて嫌な気がしていました。しかし、世の中みな自分のことに一生懸命で案外きにとめるひとはいないものです。「見る人がいるなら、見てみるさ。」と覚悟をきめたけど、無駄な気概だったみたいですね。

 いつからか、やり始めて2、3年くらいしてからは、ごみがないのが当たり前の通路のなっていました。

 そこを主にとおる中学生が通う中学校も、引っ越してきたころは市内でも品行の良くないことで有名な学校でしたが、今はそんな噂もないので、穏やかで活気のある中学生活を送っていることと思っています。確認しにいったことはないのですが、様子が活字で回覧されるので。

 

今日はここまで。読んでくださり、ありがとうございましいた。難しいことではないので、いろいろ考えないで、ひとつからやってみてください。おもしろさが広がっていくと思います。

なかなかぶろぐる時間がとれないのですが、たまに書くときには、気合がはいります。

次も期待していてくださいね。

 

幼児(こども)の育つ力を信じる子育ての考え方

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 子どもを育てるということは、親が親として育っていく過程ともいえます。

お父さんお母さんは、日常の社会的な生活を成り立たせていきつつ、変化の速い子どもの育ちや広がる好奇心、独特な反応、意外性のあふれる行動につきあわなくてはならず、優しくしたいと思っても、ついつい声を荒げたりすることが、一日のうちに何回かあるかもしれません。

そんな時、人間の本質から考えられた、子ども像について、知っておくことが、落ち着いて目の前の子どもをみていくための助けになるかもしれません。

その教育とは、シュタイナー教育とよばれているもので、名前は知っておられるかもしれません。

 

シュタイナー教育は、ドイツの哲学者、ルドルフ・シュタイナーの人間学をもとにした教育です。日本では、幼児教育が注目をあつめています。

シュタイナーは、人間は「目に見えるもの(からだ)」と「目に見えないもの(精神と魂)」で成り立っているととらえました。精神とは、個性や自我ともいわれ、人を世界でただ一人の人格たらしめているものだそうです。精神があるからこそ、人はひとりひとり違う存在といえます。

 

シュタイナー教育の現場は、柔らかな雰囲気の室内で、木片や木ノ実など自然素材のオモチャや表情がひかえめな人形で子どもたちは遊んでいて、先生の語りかける声はとても静かでうたっているようなのだそうです。なぜでしょうか。

 

シュタイナー教育は、「自由への教育」とよばれています。勝手気ままな自由でなく、世の中の動きに惑わされることなく、自分で考え行動できるという意味の自由、自己本位でない、よい人間関係を築き、自分の責任を自由に果たしていける人間になることを目標にしているのだそうです。

 

難しく感じるかもしれませんが、本当の意味で、強くいきていくのに必要な力だと思います。

 

そんなことを、身近にいるお母さんなど大人が気にとめておくだけで、子どもたちの無駄なイライラがなくなって、信頼関係を持って日々過ごす一日一日は、すぐには変化がないようでも、半年後、一年後に大きな違いをもたらすことになるでしょう。

 

 

 

本のオススメ 「おうちでできるシュタイナーの子育て」


年が始まり、1月は本格的な寒さも経験しました。

私は風邪をひいてしまいました。でも、微熱が夜にかけて3日続いただけで、お医者さんにもいかないで治せたことは、自分なりには満足のいくところです。

 

ところで、子育て中のお母さんや保育士さんが読むのに良い本をみつけました。

クレヨンハウスから出された、「おうちでできるシュタイナーの子育て」という本で、

読んでいる大人としても、その雰囲気、書かれた内容から読んでいて癒されそうな本です。

 

それをしばらく取り上げていきたいと思っています。おたのしみに。

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冬野菜が高騰している原因

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 あるスポーツジムで男の人が、

「畑のブロッコリーがぜんぜん大きくならんのよ。困ったもんじゃ。」

と話しているのを耳にしたと、うちの人が話してくれました。

 今、スーパーで売られている野菜がとても高い値段ですよね。春菊一袋230円、水菜一袋260円という感じです。

 

今年で18年自家菜園で野菜作りをしているうちの人によると、

「今年は、冬野菜が植えられてぐんぐん大きく育つ10月から11月にかけて、温度が下がるのが早かったため、育ちきれずに冬をむかえてしまったから」だそうです。

体をしっかりとつくっておく時期に、そのためのエネルギーとなる温度が必要なだけなかったことで、ちゃんとした一人前の野菜になりそこねた野菜たちになって、食べたい欲求をなかなか満しきれてないということでしょうね。

 

このことは、いろいろな要素についてかんがえさせられますが、今年のような天候でもビニールをかけたりして保温したりという、資材や手間をかけた野菜でないと出荷できないということで、値段がたかくなっているのだと思われます。

 

普段あたり前のように食べている野菜たちに、それを育ててくれている人達に、この機会に改めて感謝したいと思いますし、食べるものとしてよく味わって食べていかなくてはと、思わされます。

 

読んでいただきありがとうございます。

新しい年に、新しいチャレンジ

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明けましておめでとうございます。

新しい年、blogというものに挑戦。はじめまして。

しかしながら、さっそく書いたものが、操作不案内で消えてしまいまして。

申し訳ありません。

 

このページを開いてくれた、あなたに心から感謝いたします。

これから、子どものこと(日々接しています)、暮らしのこと、家族のこと、幸せを呼び込むことについての気づきなど、流していきたいと思っています。

気長く、末長くおつきあいください。

ありきたりですが、よろしくお願いです。